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『RALLY&CLASSICS vol 02 よみがえるグループB』(三栄書房)

モータースポーツは大きく二つに分類されます。 その一つがレースであり、もう一つがラリーです。
今日ではラリーの世界選手権も日本で広く知られていて、ベース車輌やレプリカモデルなども市販されていますが、その昔は想像を絶する車輌規定に基づく異様な車輌が走っていた時代がありました。 その車輌規定はグループBと呼ばれていました。

これは後の自動車競技に大いなる教訓を残した時代のお話です。 

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大規模なレースやラリーは純粋に競技であると同時に、参加するメーカーにとっては技術の鍛錬の場でもあり、自社製品の優秀さを証明して広く市場に宣伝できる場でもあるという一面を持っています。
そこに対抗メーカーが参入することで、時にそれはメーカーの威信をかけた闘いの場となったり、更に参入メーカーが増えて加熱することにより、戦国時代的な様相を呈することさえあります。 世界ラリー選手権(いわゆるWRCのコトね。)において最初の戦国時代が1980年代中盤でした。

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世界ラリー選手権はF1とは車輌規定が違っていて、一定期間に1,000台とか5,000台とか大量生産された車輌をベースとした競技車輌で競われます。 つまりは必然的に一般的な市販車をベース車に使えってコトなのです。(個人的な考えなのですが、そのラリーを知ることは日々運転する乗用車を知ることに繋がり、例え競技に興味が無くても運転する自動車を理解して走らせる意味で良い勉強になると考えています。)

でも、5,000台だの10,000台だのといった大量のベース車を生産して販売しようと思ったら、大手メーカーが有利で中小メーカーには不利(ヘタすると無理…。)になってしまいます。 そこで企業規模による力の差を減らして、販売シェアや企業規模が小さいメーカーでも参加し易いように配慮されたりすることもあるのですが、車輌規定が甘くなってベース車輌の生産台数がかなり少なくて済むのなら「ついでだから勝つ為に有利なレースカーみたいに無茶な車を作っちゃえっ!」てことになるのです。

この戦国時代にそうした動きが激しくなってきて、とうとう車輌規定が「ベース車の生産台数は年間200台だけでいいよ」というグループB規定になりました。 この規定で走っていた時代のラリーは非常にエキサイティングだった一方で、古き良き時代の名残りも残していたそうです。

年間チャンピオンを争う選手達は和気あいあいとしていて仲が良く、レッキ(下見と練習)走行の時には他チームの選手と一緒に休憩するのも珍しくなかったと言われています。 その一例として、アウディの女性ドライバーのミッシェル・ムートン選手がソーセージを買って来ると、トヨタのドライバーのビョルン・ワルデガルド選手(元チャンピオン)がアルミホイルで包んでセリカターボのエンジンルームに入れてSS(全力走行区間)のレッキを二区間ほど走り、エンジンルームの熱気でソーセージがイイ具合に焼けていたので、他のドライバーも集まって休憩の時に皆でピクニックをしていたそうです。

※イメージ…(ムートン:「ビョルン、ソーセージを買ってきたわ。一緒に食べましょ!」、ワルデガルド:「おっしゃ、俺がセリカ・ターボのエンジンルームに入れて走って焼いて来るわ!後でスティグ達と合流して皆で一緒に食おうぜ!」)

これが毎回行われていたというのですから、今日のピリピリしたラリー活動では考えられない程ほのぼのした時代だったことが分かります。

しかしこんなエピソードとは裏腹にグループBの時代は、今日ではラリー界の失敗と悲劇と教訓の象徴として語られています…。

(グループB終焉の地、コルシカ島。)
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「たった200台ならウチの一般市販車をベースに超大改造車を作って、20台を自社のラリー用に使って、残りの180台を1,000万円で限定販売したら、TOTALで5,000万円ほど赤字になるけど広告宣伝費だと思えばいいかな。 ついでにベースにする同じ外観の一般市販車にハクが付いて、売り上げ台数が増えて儲かるからそれでヨシとするか!」

こう考えたメーカーが一社また一社と増えて行き、そうして世界ラリー選手権には「メーカー製のラリー専用スーパーマシン」が登場して、ターボエンジンだのスーパーチャージャーエンジンだのミッドシップエンジンレイアウトだの4WDだのといった、当時の市販車では考えられなかった競技専用ユニットを搭載したラリーカーが横行し始めました。

(グループB時代に最も成功したと言われているアウディ・クアトロ。 このマシンが搭載したターボエンジン&4WDの組み合わせは、後にラリーの常識となっていきます。)
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エキサイティングなマシンによるスリルと迫力に満ちた走行シーンは、大いにファンを魅了しました。
ラリーは周回レースとは違って競技車輌にはドライバーとナビゲーターの二名が乗車する規則になっています。 サーキットではなく一般公道を封鎖して走り、世界選手権に至ってはコースの外にダートなどのエスケープゾーンは無く、カーブを曲がりきれなかったら民家や電柱に激突したり、崖下に転落したりする事もある危険な競技です。 元々がかなり無茶な競技なのですが、この時代はコースの両脇にはギャラリーがずらっと並んでいて、一歩間違えれば大惨事となるような環境で行われていました。

モータースポーツでは「明らかに有利な勝てるマシンを作って持ち込む」というのが定石とされているので、そんな環境下でもメーカーの威信をかけたパワー競争は白熱し、ほんの数年でエンジンパワーは約二倍に達しました。
とうとうラリーカーは一般道を400馬力を超えるパワーで走るようになったのです。

 

やがて車体の軽量化が始まりました。 衝突事故に備えた一般車の鉄ボディを捨て、安全性を無視した車体の軽量化が始まり、1984年にはパイプフレームにFRPのショボいコクピットとドアを貼り付けて、ペラペラのカーボンファイバーで作ったハリボテのカウルを被せたマシンが登場し、翌1985年にはその数が増えて横行するようになります。 燃料タンクには安全タンクが義務付けられておらず、誰が見ても「何か(事故が)あったらヤバイな…。」というカンジのマシンだったそうです。

そしてこの年に一台のマシンがコースアウトして道路脇の木に激突してしまい、ドライバーが死亡する事故が起きてしまいました。

(死亡事故が起きてしまいました…。)
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そしてシーズン終盤、シリーズをリードしていた選手がカーブを曲がりきれずに横転。 安全タンクを搭載していなかったために燃料に引火してしまい、金属ではなく樹脂で出来たボディはアッという間に全焼したそうです。
瀕死の事故を起こした彼の意識が戻ったのは三ヶ月後でしたが、「単なるラリーの事故」として片付けられたそうです。 幸いにも一命を取り止めた彼は、一年半後にラリードライバーとして復帰してからも活躍を続け、引退後はEUの上院議員になりました。

(またしても大きな事故が起きました…。)
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それでもメーカーの競争は止まりません。 協会側もよりエキサイティングなマシンの導入を促すために、車輌規定の台数を更に少ないグループSにしようとしていました。

(各メーカーが更に過激なベース車輌の準備を始めました…。)
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新たな参入メーカーが増えて競争が激化する中で、とうとう大惨事が起きてしまいます。 何と全速力で走るラリーカーの前をギャラリーが走って横断し、それを避けようとしたマシンがバランスを崩してコースアウトしてしまい、ギャラリーの群れの中に突っ込んでしまったのです。 観客4人が死亡して20人以上が重傷を負う大惨事となってしまいました。

「速過ぎるラリーカーは一瞬でもバランスを崩すと、コントロールを立て直すのが間に合わなくて危険なのではないか?」とか、「F1並みのパワー競争が引き起こす事故なのか、それとも単なるラリーの事故なのか?」などと議論が交わされましたが、明確な結論は出されませんでした。
そしてこの事故により一つのメーカーがWRCから撤退して行きます…。

(このマシンのドライバーがラリー界に戻って来ることはありませんでした…。)
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関係者の間で広がる「ラリーカーが速くなり過ぎて、人間ではコントロール出来なくなってるんじゃないのか?」という不安をよそにその後も選手権は続きましたが、とうとうその不安が現実の物となる事故が起きてしまいます。 一台のマシンが崖に転落して爆発・炎上し、一組のドライバーとナビゲーターが命を落としました。
ヘンリ・トイボネン選手とセルジオ・クレスト選手です。

この二人は『デルタS4』のパワーを全て発揮できた唯一のコンビと言われており、日本人でもちょっとラリーの歴史に詳しい人なら誰でも知っている名前です。
この事故により、パワー競争が暴走して安全対策が置き去り状態だったグループB規定は、WRCでは廃止されることが決定しました…。 そして次の時代は計画されていたより過激なグループS規定を取りやめにして、逆に安全性を重視したグループA規定(一般市販車ベース)にトーンダウンすることになったのでした。

(彼らはもう戻って来ません…。)
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グループB後期のマシン達を形容する言葉として、しばしば「狂気」という言葉が使われたりします。 その中で一台だけ、今も昔も「グループB究極の狂気」という二つ名で呼ばれるマシンが存在します。

(直線でさえ暴れて真っ直ぐ走れず、人間のコントロール域から逸脱した究極の狂気…。)
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グループB時代最後の死亡事故を起こしたそのマシンはタイトルを獲得する事なく、「その狂気をはらんだパワーで自らグループBの歴史に終止符を打ったマシン」としてその名を残しました。

(それはもはや自動車という人類の乗り物ではなく、企業とエンジニアの欲望と狂気が生んだ怪物でした…。)
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このマシンは大き過ぎるパワーと軽過ぎる車重もそうですが、動力性能は人間がコントロール可能な領域を完全に超えていたと言われています。 また、構造的に「狂気」としか言いようが無い部分が多々あり、それは速さを追求するが余りに犯した罪とも言える、理不尽な構造的欠陥でもありました。

ちょっと自動車や改造車やレースカーに詳しい人が聞いたら信じられないような事なのですが、安全タンクを使用していないことや、その燃料タンクが運転席の真下に搭載されていたこと。 高熱を発するタービンの間近に取り付けられた燃料ポンプ。 パワーステアリングのポンプの動力をエンジンから取っておらず前輪のドライブシャフトから取っていた為に、低速域や前輪がブレーキでロックした時にはハンドルが極端に重くなって切れ難かったこと(ヘアピンで曲がりきれないシーンが多かったのはこのせいです…)。 etc…。

これらの反省を踏まえた次の時代においては、ラリーカーのコンセプトとして『コントロール性』と『安全性』が前面に出て来ることになりました。

 

※…(払い下げられたこのマシンが今もスイスやベルギーのヒルクライムレースなどで走っているので、その姿を動画サイトで見た一般の人達が世界中で喜んでいるようです。 でも上記の真相を知っている人や、昨年のヒルクライムレースで起きたジョージ・プラサ選手の悲惨な死亡事故を知っている人ならちっとも喜べず、むしろこのようにバランスが取れていない行き過ぎた競技車輌の危険さと恐ろしさを感じられることでしょう。)

 

 

これこそが、『グループB時代のラリーが多くの命と引き換えに後世に残した大いなる教訓』であり、自動車のみならずオートバイや自転車にも言えることなのです。

 

(開発ドライバーとして携わり、後の世界チャンピオンに輝いた選手が色々と証言しています。)
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この本にはグループB時代の生き証人であり、女性ドライバーながら最高ランキング二位にまで上り詰めたミッシェル・ムートン選手のロングインタビューが掲載されています。 この方は毎年ラリ-のシーズン終了後に開催される『レース・オブ・チャンピオンズ』の主催者の一人なのですが、このイベントはラリ-の選手権とは無関係であるにも拘らず、ラリーに参加する全メーカーが惜しみなくワークスマシンを車輌提供する事で知られており、その人望を物語っています。
この記事だけでもこの本を買う価値はあると思いました。(実際、これが購入動機です。)

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二年ほど前に出た本なので、まだバックナンバーが手に入るんじゃないかなぁ…。 ラリーやチューニングカーに関心のある人にはオススメの一冊です。

 

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コメント

今思えばデフレなんて考えもしない良い時代でしたね。
グループB車は、今手に入れることができるならば私も欲しいくらいです。
私のような方達が、当時の貴重な先人たちの礎を実際に体感したいのだと思いますし、本当に必要な情報を現在に生かせている方達が乗っているものだと信じています。
ラリーと言えば若かりし頃は、かなり夢中になっていましたね~
当時、スバルがレオーネからレガシィに移って、まだ地味なこの車を購入。
ガタイのでっかいレガシィRSでしたが、当時流行っていたハチロクやMR2なんかよりも絶対的に速かったですし、レアで逆に目立っていたのかも。
その後、Cマクレーが活躍し、2輪車では絶対的で、ポルシェでも採用されていたロスマンズカラーを地味な印象のスバルが得て胸が熱くなったもんです。
インプレッサやレガシィが流行った、万人受けのスバル全盛期(ドコドコ音が妙に流行)から離れてしまいました。
現在はシトロエンC4オーナーとなり、チンタラ走っていますが、やはり現在でも心底ではラリーが好きなんだと再確認させていただいた今回の記事でありました。


>daigorouさん
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確かに世界が右肩上がりの時代でしたね。
Gr,A時代に興味を持った私が欲しいと思ったマシンは、ST165セリカGT-FourとBMW-M3でした。 Gr,Bは後から学んだクチですね。
私的にはレガシィと言えばマルク・アレンのプロドライブ・スバルカラーのイメージですねぇ。 でも当時私が乗っていたのはジャンル違いの古い車でしたし、リストラクター時代に入ってから次第にラリーへの関心も薄れて、運転の方も程なく峠は卒業して次のジャンルへ進みました。 私もドコドコ音が妙に流行した頃には、「一般人の物になったんだなぁ」ってカンジで眺めていたクチです。
シトロエンC4ですか、優雅なイメージですねぇ~。(笑) 私は車歴の全てが国産車でしたが、それらのアクセルを床まで踏みつけて走っていた頃が懐かしいです。

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