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『RACERS Vol,27』(三栄書房)

自動車やオートバイの世界選手権の歴史において、その年のチャンピオン争いを左右するほど優秀なマシンが何台か存在します。 そして極稀にですが、ライダー本来の実力に関係なく新しいチャンピオン級のライダーへと「変えてしてしまう」マシンという物も存在しました。
それが92年式のNSR500です。

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80年代後半~90年代半ばにかけてオートバイのレースなどに熱中した世代にとって、NSRと言えば「サーキットやワインディングで一番速いオートバイ」を意味しました。 ところが万人向けに開発されて誰が乗っても速かった市販モデルとは対照的に、GPマシンのNSRはライバルを圧倒するパワーとは裏腹に安定感とバランスを欠くマシンとして知られていました(一人のGPライダーの好みにだけ特化したマシン作りをするホンダ社のGPマシンが、社内の開発部に複数の国内A級ライダーを擁してその最大公約数で最適解を出すマシン作りのヤマハ社のGPマシンに操縦性で劣るのは当然なのですが…)。

さらに80年代後半のホンダ社では、GPライダーの中でも優勝やシリーズチャンピオンを争えるAランクのライダーの負傷・戦線離脱により、Aランクのライダーを擁する他社(スズキ社には一人、ヤマハ社には二人もいました…)に遅れを取る状況に追い込まれます。
ただでさえ他社を圧倒するエンジンパワーであるが故に既存のタイヤ性能では対応できなくなってしまっていたホンダ社の苦境は、Aランクのライダー不在という不測の事態によって拍車が掛かった訳ですが、この悪夢としか言いようが無い苦境に立たされたホンダ社は、いかにもホンダ社らしい発想で事態の打開に乗り出しました。
そしてこの事がホンダ社にとんでもないマシンを作らせてしまう事になったのです。

それは「グリップ力が不足しているタイヤでも如何なくパワーを発揮できて、Bランクのライダーでも他のAランクのライダーを捻じ伏せて勝てる画期的なマシンを作る」というものでした(同じ年にアクティブサスペンション・トラクションコントロール・ABS・オーバーテイクボタン・フルデュアルインジェクションシステム・ニューマチックバルブ搭載のシリンダーヘッド・ボーテックスジェネレーターを含む極限のダウンフォースを生み出すエアロダイナミズムボディーなどからなる自動車のF1と比べたら、原始的極まりない物ではありますが…)。

こうして「後のGPレーサーの方向性を決定付けた」とさえ言われるマシンの開発が始まりました。

(この人事異動が無かったら、泥沼から抜け出せなかったかもね…)
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実は巷でビッグバンエンジンと呼ばれる不等間隔近接同爆エンジンが猛威を振るい始めた時、盛豚はオートバイの世界選手権に対する興味が薄れていました。 エディー・ローソン選手は転倒で重傷を負いヤマハワークスライダーの地位を失っていましたし、選手権はウェイン・レイニー選手が先行逃げ切りで良く言えば圧勝、明け透けに言えば単調なレースパターンが続いて三年連続チャンピオンになるという形成固定状態。
そしてその翌年はウェイン・レイニー選手がハイサイドで半身不随となり突然の引退。 宿敵レイニー選手の事故・引退のショックと自らも腱鞘炎で満足にアクセルを握れなくなった事から引退してしまったケビン・シュワンツ選手…。
相次ぐAランクのライダー離脱によって残されたのは、マシンに圧倒されて満足に振り回せないBランク以下のライダーばかりとなり、そんなGPに興味が持てなくなってしまった盛豚は本屋さんで雑誌を手に取る事さえ無くなり、尚もレースに熱を上げていた友達から「NSRがブッチギリだぞ。 ドゥーハンが連勝している!」と聞いても、失礼ながら「周りがパッとしないだけだろ。 ドゥーハンみたいなBランクのライダーが連勝なんてレベルが低くてつまんねーな…」くらいにしか思えなかったのです(実は圧倒的なマシンがもたらした余裕と経験がドゥーハン選手を急激に成長させていたのは事実だったのですが…)。

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その後の数年は確かに後進のライダーが育っていなかったので、ドゥーハン選手の一人勝ち時代が続いてしまい見るべきモノは無かったのですが、92年以降は他を圧倒したホンダNSRのテクノロジーにはそれを補うだけのモノが秘められていました。 秘められていたのですが当時は最先端の企業秘密で、「ジャーナリストの方がビッグバンエンジンと呼ばれているこのエンジンは、近接同爆エンジンです」という簡単な言葉上の表現だけで図解を交えた詳細な具体論は公開されず、現場では極めて興味深い技術的進歩と発展を遂げて急展開を迎えていたにも拘らず、情報の遮断によりその実態について知る由も無かった盛豚は、それまでよりも離れた立ち位置からGPへの興味が薄れてゆくに任せて20年以上の歳月が経ちました。

関心が薄れていった事については他にも理由がありました。 元々盛豚は個人的にホンダ社のオートバイが好きではなかったのです。

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これはあくまで盛豚の主観に過ぎませんが…、

当時の国産オートバイを乗り比べた事のある人の中にはお気付きの方もいらっしゃると思いますが、ホンダ社のオートバイは(少なくとも当時の物は…)よく言えば完成度が高いマシンでしたが、意地悪というか明け透けに言えばライダーの意思や操縦を受け付けない独特の感触があり、誰がどう乗っても同じような走りをする傾向がありました。
よく「下手クソでも乗れる乗り易さ」と評されていた特性は、裏を返せば「意思決定はライダーがすればいいけど、走るのはオートバイが自動的にするからライダーは余計な手出しをしないで下さい」と言わんばかりの拒絶感が丸出しで、不自然な動きとタイムラグに満ちた電子制御メーターやエンジン特性を始めとして、メカというかメーカーの意思がでしゃばり過ぎてオートバイとライダーのコンタクトを遮断する拒絶感にも似た違和感が、他社のオートバイとは決定的に異なるポイントでした(あくまで盛豚の個人的な意見であり、単なる主観だという事にしておきます…)。

そのせいかどうか分かりませんが、ホンダ社贔屓のライダーは乗り換える時にもまたホンダ社のマシンを選ぶ傾向があった一方で、乗り換えの際に他社のマシンに乗り換える人でも「ホンダ社のマシンだけは避ける」という人も少なくはありませんでしたし、一度はホンダ社のマシンに乗り換えても「何かしっくり来ないから売った」と僅か数ヶ月で別のメーカーのマシンに乗り換えてしまった人もいました。
(ちなみに盛豚は八年間で三台のオートバイを所有しましたが、感触に満足して選んだその三台はY社の2ストとK社の4ストでした…)

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自動車もオートバイも速いマシンは基本的に乗り易いマシンでもあります。 その理由は言うまでも無い事なのですが、「ある程度のドライバーやライダーなら乗れるマシン」にしておかないと、誰も乗りこなせない「乗れたモンじゃない出来損ないマシン」になってしまうからです。
これについては初代NSRがフレディー・スペンサー選手専用に開発されたにも拘らず、その本人でさえ乗りこなせず転倒が続いてタイトルを逃し、シリーズ後半で他に三人のライダーにも与えられたものの大半のライダーに「乗れたモンじゃない出来損ない」と拒絶されてしまい、乗りこなせて優勝したのは皮肉にもそれまで型遅れの非力なマシンしか与えられず冷遇されていたランディー・マモラ選手唯一人だったという、大失態の84年シーズンの結果が全てを物語っています(学習能力の低い当時のホンダ社は翌年も同じ体制で臨みましたが…)。

稀に天才という言葉でしか説明が付かない特殊な能力を持つドライバーやライダーも存在しますが、ホンダ社はそうした例外的乗り手の特殊な能力に頼ってGPに勝とうとする傾向がありました。 それ故に「アクセルに対する反応性をライダーの意思と感性に合わせる」という済ませておいて当たり前の開発が遅れていたので、「アクセルを開けても反応にタイムラグがあって、おまけに突然ドカンと余計な馬力が出過ぎるので乗り難くて仕方が無い」という出力特性も改善される事はありませんでした。
これは盛豚の主観だけではなく、四回もGP500の世界チャンピオンに輝いたエディー・ローソン氏も、現役時代に同じ事を言ってられたとこの本文中に書かれています。

(「モルトンノイウトーリダネ!」って言ってなかった?)
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乗り手が扱う純粋な道具としてのオートバイを作るヤマハ社と、作り手の意思を介在させ過ぎたロボットみたいなオートバイを作るホンダ社…。 GPで激突を繰り返した両者のスタンスは実に対照的でした。
そしてエンジンパワーでは一割近く上回っていながらも勝ち負けを繰り返したホンダ社は、技術力と独創性に満ちて斬新かつ大胆な個性が光るが故に、その一方で「熟成という継続によって得られる自信やノウハウの積み重ねが生み出す信頼性という力」の大切さにいつまで経っても気付かないというあたりが、何とも面白いものだと思いました。

当時の関係者の方も定年退職されていますし、なにより2スト4気筒のGP500カテゴリーはとっくに廃止されていますので、「多少しゃべってもいいか~」と言わんばかりに、本文中では技術面の具体論も存分に語られています。

(「もう時効だよね~」とか思ってるのか、喋り過ぎじゃね!?)
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オートバイをより深く理解する事は意外と自転車のセットアップにも応用できる事が多いので、興味のある方はお近くの本屋さんへ…。

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コメント

同時代はバイクもクルマも色んな意味で熱かったですね。
思い付いたことをとにかくやってみたっていう個性炸裂の時代だったような気がします。

~最近、90年代車の本を読みあさってる四十路オヂサンより~

>しょうやんさん
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今にして思えばまだ束縛が少なくて「思いつくものを思うがままに作れた〝新しい″古き良き時代」でしたね。 市販乗用車では280馬力マシンを各社がリリースして、巷ではそれをプロショップが欲望の赴くがままに改造して、700馬力だの800馬力だのという狂気の様なチューニングカー(1,000馬力のZに乗せて貰った時は本当に死ぬかと思いました…)が白昼堂々走っていたのも今は昔…。
〝極限″を見たいと思った者が本当にそれを手に入れる事ができたあの時代が懐かしいです…。

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