最近のトラックバック

« 丹波篠山味まつり 2015 | トップページ | 始まり »

『RALLY CARS 07』(三栄書房)

ラリーの歴史においてグループBというカテゴリーは悲劇と失敗の代名詞としてその名を刻まれています。
このカテゴリーにはレギュレーションによってFIA(厳密にはこの当時FIAではなくFISAだったのですが、歴史と紆余曲折に沿って書くと時と場合とカテゴリーによってはFIAだったりFISAだったりまたは違う組織だったりするので、拙ブログでは2015年現在でFIAに統合されている組織を一律〝FIA″と書き表しています)が意図したグループBマシンとは程遠い、常軌を逸したマシン達が横行した為に深刻な事故と犠牲者が続出した結果、打ち切りに追い込まれる事になりました。

その〝FIAの意図とは違うグループBラリーカー″の口火を切った一台がランチア・ラリー037です。

15091900

.
1980年代前半~中盤にかけて、ラリーカーのレギュレーションが数字による5段階のグループ分けからアルファベットによる3段階のグループ分けへと移行する時代に、トップグレードクラスはグループ3・4・5を集約したグループBへと移行されました。

そしてこの時代はサーキット競技専用部品だった過給器(ターボチャージャーやスーパーチャージャー)が、一般的な市販乗用車にも本格的に普及し始めた時期でもありました(スーパーなポルシェ930ターボとBMW2002ターボはちょいと先行していましたね)。

(借りて来ました。 この画像はイメージです…)←マシンXはジャパン・ターボGT-X!
15091901 

ラリーに取り組むメーカー各社はこの過給器の導入にあたり、パワー的には優位に立つ一方で一度アクセルを戻してしまうと再びパワーが出るまでにタイムラグが生じてしまうので扱い難いターボチャージャーを選ぶメーカーと、絶対的なパワーで少々劣ってもNAエンジンのようにレスポンスに優れてアクセルを踏んだ瞬間からパワーが出て扱い易くアクセルオン・オフの激しいラリーに適したエンジン特性を実現し易いスーパーチャージャーを選ぶメーカーに分かれていきます。

ライバルのアウディ社が前者を選んだのに対して、ランチア社というかFIATグループのモータースポーツ部門であるアバルト社が選んだのは後者でした。
何故ならこの時にFIAT・アバルト社の実権を握っていたのはかつてパーパスビルド(特定の目的の為に専用設計で製作する事)のラリー専用市販車輌ランチア・ストラトスを発案した〝ルールブックの神様″ことチェザーレ・フィオリオ氏であり、今回もまたパーパスビルドでパワーに頼り過ぎずラリー専用のトータルバランスが圧倒的に高いスぺシャルマシンの製作を目論んでいたからです。

(〝ルールブックの神様″には額面通りの解釈など通用しません。 「文字に書いてない部分を如何に活用してみせるか」こそが〝神様″の本領です…)
15091902 

チェザーレ・フィオリオ氏が実権を握っていたこの時のFIAT・アバルト社は、氏の方針により例によってレギュレーションを逆手に取った競技車輌の製作に取り掛かります。

FIAのグループBラリーカー規定を大雑把に言うと、「ベース車輌は連続する12ヶ月以内に200台以上の生産台数を満たしてホモロゲーション(認可)を取得しなければならない」とされていました。 更にそこには付帯条件として「ラリー競技用車輌については前述の車輌をベースに20台以上生産されたエボリューションモデルの仕様登録を認める」とあり、このエボリューションモデルについては外装の材質さえ変えなければ、幅広なブリスターフェンダーを導入するなど多少の形状変更が認められていました。

これはつまりフェンダー内のタイヤハウスを拡大する事で、サスペンションの稼動域を大きめに確保できるようにしたり競技用のより幅広で大径なタイヤを履いたりする事ができるように配慮する事で、スタイルも走りもよりダイナミックなマシンを作り易くする狙いがあったと言われています。

具体的な例を見てみると、トヨタ・セリカの場合はセリカGT-TRをベースにフェンダーを鉄板製から厚手の樹脂製に変更して、形状的には一般モデルと外観上は区別が付かない程度のまま、エンジンにはエボリューションモデルでの排気量アップを視野に入れた、純正品の補修用0.5mmオーバーサイズピストンを組み込んだホモロゲーションモデルを200台製作して販売しておき…

(借りて来ました。 ホモロゲーションモデルの外観はフツーにセリカです)
15091903 

これをベースに20台の競技用エボリューションモデルを製作して競技に投入されています。 こちらはエンジンの排気量や出力が上げられているだけでなく、外装もフェンダーが大きく張り出している他、リトラクタブルライト等も固定式に変更されるなど大幅に手を加えられています。

(エボリューションモデルは大きく張り出したフェンダーが勇ましい…)
15091904 

(借りて来ました。 実際、他のメーカーもレギュレーションを額面通りに解釈して製作したので、似たようなグループBマシンが作られていた訳ですよ)
15091905 

とまぁFIAはこういうカンジのラリーカーを想定していた訳ですが、FIAT・アバルト製ランチアは人の敷いたレールを素直に歩くようなラリーカーなど製作するつもりは毛頭ありませんでした…。

まず既存の市販モデルの中でキャビン(運転席周り)を流用できそうな車輌を探さなくてはなりません(キャビンを新規開発するのは物凄くコストがかかるので、流石にたった200台の為に専用キャビンを作る訳にはいかなかったそうです…)。 目を付けたのはミッドシップ2シーターのライトウェイトスポーツ車であるランチア・ベータ・モンテカルロでした。

(よし、コイツのキャビンを使おう! …って、キャビンだけかよ!?
15091906 

レギュレーションではフェンダーの形状変更に対する配慮を目的としてボディーに関する制約が緩いので、キャビンの前後はブッタ切ってクロモリのパイプで都合のいいように作ろうという事になり…

(オイオイ、キャビンの前はカラッポやんか…)
15091907 

パイプフレームの上からは乗用車っぽい形状の分厚い樹脂製カウルを付けて、ルーフパネルもくり貫いてドアと一緒に樹脂製の物へ張り替えて一丁上がり!

こうして完成したのがランチア・ラリーのホモロゲーションモデルでした。

(借りて来ました。 一見するとフツーのスポーツカーみたいに見えますが…)
15091909 

(借りて来ました。 後も中身はクロモリパイプとエンジンだけやん…
15091908 

これを200台製作してホモロゲーションを取得した後はエボリューション用を手元に残しておいて余った台数だけを売っ払い、競技用エボリューションモデルは前後の樹脂製カウルを分厚いFRP製からペラペラのCFRP製(いわゆるカーボンファイバー・ラインフォースド・プラスチック…、今日の自転車業界で〝カーボン″と称されている物の大半はこれなのですが事実上詐称ですね…)に交換して…

(おいおい、よく見たらこのボディーパネルは…)
15091911 

塗装で隠したらハイ出来上がり! これが競技用のランチア・ラリー037です。

(エボリューションモデルの仕様登録風景より)
15091912 

ちなみに塗装前の素っ裸状態だとこんなカンジです。

(この個体の外装は近年作り直された物で、当時のワークス仕様でさえブ厚い樹脂製だったドアまで丸ごと全部カーボンファイバー製になってるやん… そりゃぁセリカ・ツインカムターボなんてお呼びじゃないわな…)
15091913 

自動車・オートバイ競技の世界では昔から「10kgの軽量化は10馬力のパワーアップに匹敵する」と言われていますが、アクセル全開時間の長いサーキットの周回レースでそう言われるくらいですから、アクセル全開時間の短いラリーではそれ以上の効果があると言われていました。

つまりこのFIAT・アバルト製ランチア・ラリーという車輌はボディに関する制約の少ないグループBレギュレーションを逆手に取り、競技用エボリューションモデルにおいて、一般的なモノコックボディーの車輌では絶対に追いつく事ができないほどの軽量化と、ミッドシップエンジンマウントによる良好な重心位置・旋回性を実現する事により、異次元のコーナリング性能でライバル達を圧倒してラリーを支配する為に作られた訳です。

ですがそこには「もしコースアウトするなどして何かに衝突してしまった場合」などという想定は一切ありませんでした。 キャビンの前後のクラッシャブルゾーンを切り飛ばして最低限のパイプフレームに置き換えている訳ですから、完成したのは不都合な真実には目を背けてラリーの成績はおろかドライバーとコ・ドライバーの命も含めて全てと引き換えにした、「オール・オア・ナッシング」と言わんばかりの競技車輌でした…。

(借りて来ました。 見た目はカッコイイけどキャビンの前後にボディーが無いしドアも樹脂製だから、豪快にぶつかったら死ぬよな…
15091914 

当時ワークスドライバーを務めていたマルク・アレン氏はラリー人生で走らせたマシンの中で、軽量・俊敏・コーナリング特性・操縦性・ジャンプした時の姿勢安定性の全てにおいて、ランチア・ラリーを越えるマシンは無かったと証言しています。 特にジャンプして着地する時に車体が終始前後左右の両方向で水平を保ち続け、必ず4輪が揃って着地できるマシンは他に無かったと主張していました(これについては後にグループB時代末期になって登場するアウディ・スポーツクワトロS1E2が唯一の例外と言えるでしょう)。

.

※…(この操縦性については21世紀になってからイタリア国内ラリー選手権で6回もタイトルを獲得したパオロ・アンドルッチ氏も近年のテスト(11:02~14:54)の中で、「イタリア国内選手権で運転していた近代的なプジョー207と比べて20年も古い車輌であるランチア・ラリー037の操縦性はしかし、車重が軽くて重心位置も良く乗り易いから速度を上げても俊敏に走り易く、装備重量になると一層軽さが際立つ。 速度を上げても正確な回頭性を得られる」と、近代的なラリーカーよりも速くて乗り易いのだという評価をされています)

.

更にフィオリオ氏の徹底振りはドライバーの布陣にも抜かりはなく、ヴァルター・ロール氏やマルク・アレン氏といった当時のトップドライバーを抑えつつ成長株の故アッティリオ・ベッテガや故ヘンリ・トイボネンといったドライバー布陣も確保していました。

.

.

しかしここまでやってもランチア・ラリー037は三年半でたったの一度しかタイトルを獲得できませんでした。 華々しいのは最初の内だけで特に後半の二年間はライバルに対して遅れを取っている事が明白となっていきます。 何故ならランチア・ラリー037は当時のタイトルを争うラリーカーとしては大きな弱点を一つ抱えていたからです。

それはトラクション不足という競技車輌としては致命的な弱点でした。 正確にはそれまでのラリー界における常識の範囲内では優れたトラクションを発揮していたのですが、ランチア・ラリー037は不運にもラリー界の常識が変わろうとしている真っ只中にデビューしてしまった為に、走り続けて熟成するほどに時代遅れのマシンとされてしまうという厳しい現実が待ち受けていたのでした。

.

※…(トラクションとは直訳すると「牽引作用」という事になりますが、もっと分かり易く大雑把に意訳して言うと「駆動力が掛かり車輪が路面を捉える事で車体が進行方向に進む事」です。 「トラクションが掛かる」と言えば駆動力に応じて車体が進行方向に良く進む事を意味し、「トラクションが掛からない・逃げる」と言えば駆動力が不足しているか逆に強過ぎたりシャーシ・サスペンション・タイヤが受け止めきれていなかったりして、車輪が路面に伝えきれずスリップロスが発生してしまうなどしてアクセルを踏んでも車体が思うように進行方向へ進まない事を意味します)

.

トラクションに関するラリー界での常識の一大変化…。 そう、ラリー界には以後今日に至るまで三十年以上も続く事になる〝4WD+ターボマシン″の時代がついに到来したのです。
それまでジープのようなクロスカントリー&フィールドビークル専用の駆動システムとされて来た4WDを、ハイスピードに対応させてロードカーに搭載するという斬新な発想。 そしてその実用化に成功したのはまさにランチア・ラリー037の目の前に立ちはだかり、ラリーの歴史に不滅の名を刻む事になる〝アウディ・クワトロ″シリーズだったのです。

(借りて来ました。 この一台がラリーと4WDの常識を根底から覆していきます)
15091915 

FIAT・アバルト製ランチアの強大なワークスチーム体制に比べてとても小規模なチーム体制とは裏腹に、アウディ・クワトロは他を圧倒してWRCを蹂躙していきます。
ドリフト走行が主流のラリー界でアンダーステア丸出しのブサイクなコーナリングとは裏腹に、ターボチャージャーを搭載して他を圧倒するパワーとターボラグという弱点をカルく相殺してしまう4WDの強烈な立ち上がりと両者の組み合わせが生み出すその異次元とも言えるトラクション…。 破壊的とさえ言われたその速さはライバル達の2WDラリーカーを一瞬で時代遅れの物にしてしまい、彼等の2WD新型車輌開発プロジェクトを尽く打ち切りに追い込んで「絶望の淵に叩き落した」とさえ評されました。
アウディ・クアトロはFIAが意図したグループBマシンの範疇(デビューした81年こそ移行期間が始まる前のグループ4登録でしたが、即ちグループBのレギュレーションを額面通りに解釈したロードカーから逸脱しない市販車輌の延長線)で見事に成功を体現して見せたのです。
いわゆる〝クワトロ・ショック″の始まりです…。

そして当時のコーナリング特性に劣る4WDマシンには不利だったツイスティなオールターマックのツール・ド・コルスで、一矢報いるべくFIAT・アバルト製ランチアも奮起したのですが、ランチア・ラリー037のデビューイヤーである82年に同じコースで大事故を起こして復帰に年月を要した故アッティリオ・ベッテガが運転するマシンが、85年にまたしてもコースアウトして立木に横から激突する大事故を起こしてしまい、ドライバーは帰らぬ人となりました…。

(借りて来ました。 左から立木に激突した車体は右から見ればこの程度ですが…)
15091916 

(借りて来ました。 運転席のあった場所には〝何も無く″なっていたそうです…)
15091917 

(故アッティリオ・ベッテガについて特集記事が掲載されたのは、日本の冊誌では初めてではないでしょうか…)
15091918 

元々ラリーとは「無茶な事を凄いレベルでやってみせる」という事が大前提の競技であり、ラリーにワークス参戦するメーカーがマシンに速さを求めるのはモータースポーツの宿命ではありますが、キャビンの床と前面のバルクヘッド以外はパイプフレームとかペラペラの樹脂製カウルやドアなどという常軌を逸した脆弱な構造を導入した事で、FIAT・アバルト製ランチアは大きな代償を支払う事になりました。
それにも拘らずこれを見ていた同業他社のワークスも同じような手法のセミパイプフレーム構造を導入し、ランチア・ラリー037とアウディ・クワトロを組み合わせたような〝ミッドシップ+4WD+ターボ″や、それに近いマシンを引っ提げて続々とWRCに参入していきます。

.

「ラリー史上最も美しいマシン」という評価とは裏腹に、ワークスドライバーの死亡事故という大きな影を落としてWRCの舞台を去って行ったランチア・ラリー037…。
このマシンが残した〝セミパイプフレーム製マシン″という新たなラリーカーの概念によって、WRCは大きく舵を切ってグループBラリーは暗黒の時代へと陥る運命が待ち受けている事を、この時はまだ誰も知る由はありませんでした。

グループBラリーの口火を切ったマシンの登場は、同時にグループBラリー終焉の始まりでもあったのです…。

15091919 

時は1985年5月2日。 その後も大事故を繰り返して数多の犠牲者を出した後にラリー界が余りにも大きな物を失い、辛過ぎる事件に直面するその日まで、あと一年…。

.

.

---------------

.

※…(三栄書房社さんにおかれましては単に懐かしい時代を採り上げるだけで無く、不都合な真実やタブーとされがちな事案についても冷静に取材して纏め上げ、美化せず見解に偏りの無い素晴らしい記事を提供し続けてくれる姿勢を個人的に高く評価しています。 願わくばここで立ち止まる事なく、いつの日か日本の業界誌としては始めて〝次のマシン″についても同じスタンスで取材の上、出版して頂ける日が来る事をと期待申し上げる次第です)

.

« 丹波篠山味まつり 2015 | トップページ | 始まり »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

2019年8月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
無料ブログはココログ