最近のトラックバック

« 2016年 新春撮り調べ | トップページ | ブロンプトンのタイヤ交換 »

『RALLY CARS 09』(三栄書房)

アウディ・クワトロは〝4WD+ターボエンジン″というパッケージングによって、ラリー界に革命を起こして既存の概念や他社ワークスの開発プロジェクトなどあらゆる物を打ち砕き、WRCの歴史に不滅の名を刻みました。
ラリーの歴史においてたった一台のマシンがこれ程までに常識を覆し、時代を変えてしまった例は他にないと言っていいでしょう。

16010700

.
グループ4時代からグループB時代への過渡期のWRCにアウディ・クワトロが持ち込んだ〝4WD+ターボ″というパッケージングは、瞬く間にWRCでタイトルを狙う上での「勝利への方程式」さえも通り越えてしまい、ラリーカーの必須条件となりました。
これは以後30年以上経った今日に至るまで、トップカテゴリーが〝グループB″→〝グループA″→〝WRカー″→〝S2000WRC″と変遷する中でも不変の物であり、今日でも現在進行形でその歴史を重ね続けています。

.
革新的なアイデアとそれを具現化する技術力で〝4WD+ターボ″を実用化する事によって、全てのライバル車達を開発プロジェクトごと完膚なきまでに叩き潰し、それらを同じ〝4WD+ターボ″コンセプトの開発に追随・一から出直しせざるを得ないという絶望の底に叩き落した〝クワトロ・ショック″と呼ばれる革命を起こしたアウディ社の活動については、世間一般では華々しい成功談ばかりが語り継がれているようです。

(〝4WD+ターボ″クワトロの前では、前年まで何年間もタイトルを争い続けてきた〝NAエンジンFR車″フォード・エスコートRSやフィアット131アバルトは、もはやクラッシックカーでしかありませんでした…)
16010701 

しかしその成功の裏で前例が無いが故の棘の道とも呼ぶべき数多の苦労があった事については、意外と知られていません。 この本にはその辺りについてもキチンと記述されています。

16010702 

アウディ社がこの時に持ち込んだ4WDによるトラクションの面での効果については、ランチア・ラリー037の時に簡単に触れた通りです。
本来ならばアウディ・クワトロを語る上でこのトラクションについてもっと掘り下げて述べたいところなのですが、書こうと思ったらかなりの長文になってしまうので、今回は割愛して またいずれ別の機会に書きたいと思います…。

.

---------------

.

あとこれは余談になりますが、この時アウディ社がそれまではジープなどのクロスカントリー車専用の複雑な駆動システムであった4WDをハイスピードに対応させ、ロードカーと融合させる事によって生み出されたハイスピード4WDロードカーという概念は、各国のグランツーリスモに大きな影響を与えて普及していきます。

その代表的な例として挙げられるのが、一つは前輪荷重不足故に超高速域でのスタビリティ不足が致命的な弱点だったポルシェ911シリーズの4WD化であり、一つは公道とサーキットの両方で時代の王者として君臨したニッサン・スカイライン系に始まる電子制御のトルクスプリット式可変駆動伝達率機構を搭載した4WDのGT-Rシリーズ(R32~)であり、一つは歴代のミッドシップ・後輪駆動車が高速域での安定性とバランスを欠いた欠陥状態のままになっていたランボルギーニ社のムルシエラゴやガヤルドなどに代表される近年のミッドシップ4WDシリーズです。

.

ニッサン社の場合は主にレースで圧倒的なアドバンテージを得る目的だったのは巷で語られている通りです。 それまで「曲がらない」と言われていた4WDを、〝ハイテク″こと電子制御によってサーキットでも無敵の存在に押し上げました。

対してポルシェ社とランボルギーニ社の場合は、従来ただでさえ高速域に不向きなエンジンレイアウトと駆動方式に加えて、その弱点に拍車を掛けた空力的な負の要素のせいで200km/hを超える超高速域でのコントロール性を欠いていました(ポルシェ911は200km/h以上で前輪の接地感が無くなりハンドリングがフワフワになるし、カウンタックLP400は200km/h以上で後輪が、その他のミッドシップ・後輪駆動の車種では前輪が浮かび上がってしまって直進できないというのはその筋では有名な話で、対策としてチューンに手を出す人も多かったようです…)。
こうした構造的欠陥をトラクションによって解決する為の4WD化であり、言い方を変えればパッケージングそのものによる持病を駆動方式だけで帳尻合わせしてしまったという訳です(まぁ、ランボルギーニ社の4WD車輌はアウディ社が作っているので、4WDシステムの完成度が高いのは当然といえば当然ですな…)。

(借りて来ました。 アウディ・クワトロが残した4WDロードカーの足跡はWRCに限った話ではなく、高級グランツーリスモの未来をも左右するほど大きな物になりました)
16010705 

.

---------------

.

さて、今になってアウディ・クアトロのグループBラリー活動を振り返ると、キーパーソンと呼ぶべきドライバーが四人もいた事が分かります。 層の厚いドライバー布陣という意味もありますがこのメンバーの何がどう凄いのかと言うと、全員がドライバーズタイトルを争うライバル同士であるにも拘らず、前例の無い〝4WD+ターボ″の独特の運転技術をお互いに協力し合う事で確立していったという事が挙げられます。

(〝マスター″ハンヌ・ミッコラ選手と、FF車上がりの〝左足ブレーキの伝道師″スティグ・ブロンクビスト選手)
16010703 

(最終戦前夜に父親の訃報を受け取っていなければ初の女性チャンピオンになっていたであろうミッシェル・ムートン女史と、〝運転の天才″・〝ラリーマイスター″ヴァルター・ロール選手)
16010704 

特にヴァルター・ロール選手については今なおWRC史上最高のドライバーという評価を得ている人物であり、歴代で唯一〝ラリーマイスター″の称号をもって代名詞とされている事でも知られています(日本ではあまり知られていないかもしれませんが…)。

実はグラベルでは無敵とまで言われた4WDのアウディ・クワトロでさえ、当時はシリーズタイトルにも匹敵する価値があるとされていた雪のモンテカルロラリーでは、なかなか優勝する事ができませんでした。
その理由は明らかに戦闘力で劣るNAのFR車やミッドシップ後輪駆動車で優勝候補の最右翼であるアウディ・クワトロの前に立ちはだかり、二年連続でこれを打ち破って優勝するという奇跡としか言いようがない離れ業をやって見せた天才ドライバーがいたからでした。

文字通り喉から手が出るほど欲しかった「モンテカルロラリー優勝」を二年連続で掻っ攫われて、アウディ・クワトロの生みの親であると同時にモータースポーツ部門の責任者でもあったフェルデナント・ピエヒ氏(フェルデナント・ポルシェ博士の孫にあたる人物です)が、「またロールか!annoy ええぃ! ヤツと戦うくらいならヤツをアウディに乗らせろ!dash」というWRCの歴史に残る名言と共にヴァルター・ロール選手の引き抜きを指示したのは、あまりにも有名な話です…。

そして翌年にヴァルター・ロール選手はアウディ・クワトロでモンテカルロラリーに出場。 その初日の移動区間で走行中に開眼したという新テクニック〝左脚ブレーキ&逆ドリフト″で猛威を振るって優勝し、WRCの歴史上で当時としては前人未到の三連覇とそれを異なる三つのメーカーの異なる三つの駆動方式のマシンで達成するという歴代唯一の快挙を成し遂げました。

.
※…(〝逆ドリフト″とは後のWRCでは常識となっているコーナリングテクニックの一つで、パワーと車重が大きければ大きいほどより高い効果を得られるとされています。 具体的にはカーブの手前で一旦カーブの方向とは逆方向に向かうちょっとしたコーナリングアクションとも言える規模の大きなフェイント動作をかけてドリフト状態を誘発し、そこに強いカウンターステアを加える事によりS字カーブの切り返しの要領でグリップが急激に回復する瞬間に生じるハイサイド・スピン効果を活用して一気にカーブの方向へと旋廻させる事で、挙動が鈍重だった当時の4WD車に素早い旋廻動作を起こすと同時に4WDならではの強力なトラクションをかける事で、鋭いコーナリングワークを発生させるテクニックの事です。 ライン取りは〝アウ→トイン→アウト″ではなく〝イン→アウト→イン→アウト″になります。 パイプフレーム+樹脂製ボディみたいに極端な軽量化を施した軽量ボディの俊敏さに頼らずとも、車重を活用して車体を振り子の様に振り回す事で鋭いコーナリングワークを実現できます。 ロール選手はその要領について当時「ハンマー投げのような物だ。 4WDの乗り方が分かって楽しくなってきた」と語っています)

.

.

グループB末期のWRCでランチアの開発ドライバー件セミワ-クスドライバーとして頭角を現し、後に二度の世界チャンピオンに輝いたミキ・ビアシオン氏は近年のインタビューで当時を振り返り、「グループB末期のラリーカーは明らかにエンジン開発が先行し過ぎてシャーシ開発が遅れを取っており、コントロール不能の異常な車輌だった。 今だから言えるが乗るのが怖い代物だったけどクビになるのが怖くて誰も本当の事を言えなかった。 そんな中でそれら常軌を逸したグループB末期のラリーカーの限界を知っていてその領域まで攻め込んで走らせる事ができたのは、クワトロのヴァルター・ロールとデルタS4のヘンリ・トイヴォネンだけだ。 もっともトイヴォネンは競技中の事故で死んでしまったけどね…」と語っています。

.

ヴァルター・ロール選手はラリーだけでなくサーキットのレースでも勝利を手中にした事で知られていますが、同社に開発プロジェクト組織を立ち上げさせてその活動に深く関わり、以後も同社だけでなくポルシェ社など様々なメーカーの開発ドライバーとして関わり続けました。
そして既に現役を退いて齢69歳を数える今もなおロール氏はアドバイサー的な立ち位置で現役の開発ドライバーとして引っ張りだこな日々を送っています。
特にポルシェ社では4WDの新規開発当時のプロジェクトに深く関わっただけでなく、今日でも新型車の開発最終段階でロール氏によるニュルブルクリンク北コースでのテストドライブを実施して、氏のOKが出なければその車輌は発売を延期して開発へ差し戻すという日々が続いているのだそうです。
OKが出た時は決まって物凄いタイムが出るので、ニュルブルクリンク北コースの車種別コースレコードランキングにロール氏の名前が多数記録されているのはその為だと言われています。

.

転向する事なく両立する形でラリーとサーキットの両方で勝利を収めた事だけでもモータースポーツの歴史において他に例を見ない快挙なのですが、こうした開発に関する多大な功績も含めてもはやそれを測れる物差しがない程のロール氏の実績については、かのニキ・ラウダ翁が「彼は運転の天才だ」という言葉をもって最高の評価をされた事でも知られています。

.

.

因みのこの本は既に最新刊の一刊前の物ではありますが、この本は大抵の書店で一~二刊前の刊まで店頭においてあるようです。 例によって本の内容については書きませんので、関心のある方は書店で手に取ってみて下さい。

.

« 2016年 新春撮り調べ | トップページ | ブロンプトンのタイヤ交換 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ