「サンマル系のM3」と言われて、それが1980〜90年代にモータースポーツで活躍したBMW–M3(型式はE30)の事だとピンと来た人がいたら、きっとその方はちょっとした自動車好きかモータースポーツファンだと思います。 そして同時に彼らはモータースポーツシーンでサーキットを疾走するM3の姿を思い浮かべている事でしょう。
しかしそんな好事家の方々の間でさえ、ツーリングカーレース用に開発されたM3が意外とラリーでも活躍していたという事については、意外と知られていないようです。
80年代にオートバイのロードレースで革新的な技術の開発に挑んだモト・エルフ・プロジェクト。 レーサーレプリカと呼ばれる車種のオートバイが好きだった世代なら一度はその名を聞いた事があるのではないでしょうか?
その昔、日本でも “F-1ブーム” ってヤツがありました。 日本では “セナ・プロ時代” なんて呼ばれ方をする事もあるみたいですが、日本のホンダ社製エンジンを搭載したマシンがチャンピオンマシンになったりした事もあって、コアなモータースポーツファンではない一般人でさえF-1に関心を持っていたりサーキットまで観に行ったりしていたという、今では考えられない時代でした。
〝グループBラリー究極の狂気″の二つ名を持つランチア・デルタS4は、グループBラリーというカテゴリーを悲劇と失敗の代名詞として決定付けると共に、人間の手に負えない怪物と化して誰にも止められなくなったそのカテゴリー自体に終止符を打ちました。
ケニー・ロバーツ。 チーム・ロバーツ。 '70年代~'90年代にオートバイのロードレースファンでこの名前を知らない人はいませんでした。
これは当時の最高峰クラスであるGP500でライダーとして三年連続の世界チャンピオンに輝いた不世出の男と、彼が興して後にホンダ社ワークスとヤマハ社ワークスさえも打ち破り世界の頂点に君臨し続けた伝説のチームの名です。
後に〝理論上 最速のグループBマシン″という微妙な代名詞で呼ばれる事になるフォードRS200は、実戦投入されて間もなくグループBカテゴリーの廃止が決定されてしまった事から、結実する時間を与えられる事なくWRCの舞台を去って行きました。
実績と情報が少な過ぎた事や86年ポルトガルラリーでの事故のせいもあって、このマシンについては色々と誤解されてきた節もあるようですが、むしろグループBラリーカーの中では真っ当な部類に入るとさえ言えるマシンである事については、意外と知られていないようです。
アウディ・クワトロは〝4WD+ターボエンジン″というパッケージングによって、ラリー界に革命を起こして既存の概念や他社ワークスの開発プロジェクトなどあらゆる物を打ち砕き、WRCの歴史に不滅の名を刻みました。
ラリーの歴史においてたった一台のマシンがこれ程までに常識を覆し、時代を変えてしまった例は他にないと言っていいでしょう。
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